人生という作品を最高傑作にするか、凡作にするか?という話

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こんにちはえのきです。
今日は、最近思っている人生のあり方について
物語の視点から考えてみました。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
 

人生という名の「作品」を私たちは製作している

 
 
突然ですが
人生には映画やドラマにみられるような
 
  • ドラマチックな心踊る物語
  • ロマンチックな夢物語
 
というものはなかなか存在しません。
 
 
私も流行りの作品の動向は
コンテンツの一つとして
チェックしているので映画(や趣味のアニメ)はよく見ます。
 
 
もちろん
ありえないよなあ…
でもこんな素敵なことがあればあ…
 
なんて思うような出来事しかだいたい起こりません。
 
 
でもむしろ、そこがいいんです。
 
 
フィクションによって
リアルの世界に存在しないからこそ
主人公やヒロインに自分を重ねて憧れを抱くということは大いにあるのかなと。
 
そんなことを常々考えています。
 
 
他にも、現実とかけ離れた
未知の体験をして心が宙を浮くような
謎の感覚を持ったり…
 
 
人は、共感や憧れから
映画やドラマ、作品を
 
これは素晴らしい作品だ!と褒めたり
自分のことを言っているようだ!感動した!
 
など共感をしたりする行動を取る人が多い気がします。
 
 
とまあ作品を見ると大体いつもそんなことを
頭の中でぐるぐるとずっと考えているわけなのですが、、、
 
 
ある日、テレビから
 
「あなたの人生を傑作にします」
 
 
なんとまあ粋なプロポーズの言葉が聞こえてきたのです。
 
 

その頃、えのきの頭では…

確かに人生も物語の集大成だなあ。。。

となると人生も一つの作品として考えられるのか…

なるほど、 じゃあ人生を良さを伝える言葉に
 
人生最高傑作という言葉があってもいいのかな???
 
奥が深いなあ〜〜〜・・・・・・・
 
こんな想像が繰り広げられておりました。
 
 
そして私は、
 
私たちは人生という名の物語を
作品として毎日地道に作り上げている。
 
そして、最終的な評価を他人や自身の感情で判断をしているのではないか?
 
 
という1つの仮説を立てました。
 
 
そう考えていくと
 
自分の人生を、最高傑作と呼べるようにするのか?
それとも凡作にするのか?
 
どちらがいいのか???
その答えはあるのか?
 
「人生の正解」を考えていくことは非常に奥が深い感情だということを改めて深く考えさせられたのでした。
 
 

評価は、他人によって決められることが圧倒的多数であった。

歴史から見た評価のカタチ

ただ、事実と知っておきたいのは
 
例えば本当に
私の人生は最高傑作だ!
と言えた場合でも
 
仮に「最高傑作」と呼ばれるような人生の出来は
今と昔では少し違うのではないか?
ということです。
 
 
これについては、
少し難しい話になるのですが
歴史的な史実を見ると面白いかもしれません。
 
 
様々な観点から見ることができると思いますが
今日は私の視点を1つだけ。
 
例えば、私は『褒美』という言葉から
その人の生き様に対する考え方が見ることができるのではないかと考えています。
 
 
 
褒美という言葉がいつ生まれたのか?までは
調べ不足で申し訳ないのですが
(今度時間を見つけて、調べておきます…)
 
 
私は、現代と昔の人たちが口にした褒美という概念は少し違うと感じています。
 
 
というのも過去の褒美という言葉は、
自分に対する欲求を満たすものより
社会的な地位を約束される”契約”の意味が強かったと考えているためです。
 
そして他者からの評価が人生の全てだった
という人が大多数だったはずです。
 
褒美という目上の人から評価が、
その人の人生を左右したりすることが
当たり前に起こる世の中でもありました。
 
褒美が人生を左右する
評価として利用されていたのです。

歴史が教えてくれる「褒美」の概念

武士が権力を握った戦国時代。
当時、褒美という言葉は非常に尊いものであったと私は感じています。
 
”褒美を遣わす”という言葉もあるように
褒美というものは人々にとってとても尊いものだったことでしょう。
 
そして、この褒美によって
人生が変わる象徴的な存在が
大名呼ばれる地位の人たちです。
 
 
例えば、
大混戦の戦に勝った大名がいたとしましょう。
 
大将から、功績を称えられ
褒美として土地や金銀財宝が与えられるわけです。
 
特に当時の大名たちにとって
広大な土地は権力そのものを示していましたし
その土地の広さによって
庶民からの厚い信頼も得られていました。
 
不動の地位を築き上げることができれば
大名の人生は素晴らしいと評価されることが圧倒的多数です。
 
そして素晴らしい功績と評価され、
名を残した人物として人々の心に残っていくのです。
 
 
しかし、一方で褒美として与えられた土地が
不測の事態により召し上げ
となった場合、彼らは武士としての威厳を損ない
素晴らしい武士であるとは認められないわけです。
 
素晴らしい人だったのに…
というまるで今までの功績を無にするような
そんなマイナスな印象操作すら起こりかねません。
 
 
こう考えていくと褒美という考え方は、
人の評価に直結する判断材料であったと言えるでしょう。
 
 
そしてこれは、決して
地位の高い大名だけの話に限らず
 
当主様から褒美を与えられた!
 
と喜ぶ庶民の姿も同じように考えることができるのです。
 
 
このような背景から私の認識では
 
人生というストーリーが、
品格の高い人によって自動的に生成されるという事実も見え隠れしている。
 
と思わざるを得ないのです。
 
少なくとも人生というものを
自分で生み出すという考え
異端と言われるような思考回路だったのではないでしょうか。
 
 
このように目上の人から与えられるものによって
人生が左右される背景が存在していたことを
知っておくだけでも生き様の見え方は格段に違ってくるかと思います。
 

現代における褒美と評価の形

では、現代はどうかというと、
個人的見解ですが昔よりも他人による人生の評価は少ないでしょう。
 
褒美という言葉も、
どちらかと言うと自己評価による概念が強く浸透してきているように思います。
 
「自分へのご褒美」
 
なんて言葉を聞いたことがある人は多いんじゃないでしょうか?
 
これがいい例だと思います。
 
今の私たちは、
 
 
人からの評価だけでなく、
自分が下す評価も人生の構成において非常に重要なポイントになってきているのです。
 
 
だからこそ、
 
自分の好きなことがしたいとか、
やりたくないことはしたくないとか、
 
自己欲求の解放を求めて行動する人も
増えてきていると思います。
 
果たしてその考え方が正解か不正解か
なんてことは誰にもわからないのですが…
 
自分ファーストという言葉も出てきたように
 
人は思いの外、
自分への評価を重要視しているのかもしれません。
 

人生という作品を評価するのは、一体誰なのか

評価の基準はケースバイケース

ここからは私の考察になりますが
結局のところ、
 
 
人生を評価するのは他人であり自分であり
ケースバイケースなのです。
 
 
人から評価され、富と名声を得ても
自身の生活が不服だと不満を漏らせば
人生そのものが最高傑作だと胸を張って言えることはないでしょう。
 
 
はたまた、人から評価されなくても
自身の信念を貫いて何か見えない原石を自分の中で
誇れるくらいに磨き上げてしまえば
自己満足と言われようとそれは最高の人生だと胸を張れるわけです。
 
難しいバランスです。
 
 
でも人って、少なからず
評価されると嬉しいですから喜びを感じますし
そこからやる気やビジョンが湧いて
気持ちを成り立たせている節もあります。
 
 
ただ過去とは違い、今は自分たちの気持ちにも
非常に焦点が当たっている時代です。
 
そんな過去背景を考えてみると
たまには自分の欲望に耳を傾けて
自分が最高だと思える人生を想像するのもとても大切なトレーニングだなと思ったりします。
 

自分が何を目指したいか?も大切な基準値だと思う。

どれだけたくさんの人に認められても
最高の人生のストーリー作り上げたいなら
自分の意思も必要なのかなと
 
今回の考察を書きながら思いました。
 
ケースバイケースだからこそたくさんの選択肢を持って
自分の意思で物語を作り上げていく必要があります。
 
そんな時に、
目指す指標が大切になるのだと思います。
 
 
人はイメージしたことしか実現できません。
 
有名な話では、
シドニーオリンピックのマラソンで金メダルを獲得した
高橋尚子選手の監督:小出義雄さんのエピソードがあります。
 
「おまえは、世界一になれる!」と、毎日のように言いつづけたのだ。
 
 
高橋選手は、監督にこの言葉を言われつづけ
「あれ、もしかしたらなれるのかな」と思ったそうです。
 
 
もちろん監督は本当にそう思っていたでしょうから、
嘘をついているわけではないですが…
 
もしかしたら、
少し壮大な話なのでイメージが湧きにくいかもしれません。
 
でも、それだけ言葉には大きな力が宿っているということは覚えておいてください。
 
 
そして、運命は素直で
考えすらも放棄した人に、
新しい瞬間はやって来ることさえないのです。
 
 
達成するために自分の基準値をあげる
という表現の仕方もありますが
 
これも結局、
自分に対する自己評価を上げたい
というセルフイメージからくるのだと思います。
 
目指したい自分の理想のストーリーを
どのように実現してみせるか?
 
己の満足度を高めながら
自己欲求と戦い
目指したい道しるべを探して
一歩ずつ人生というストーリーを進んでいると思っています。
 
 

最後に

今回は、
 
人生を最高傑作にするか?凡作にするか?をテーマに生き方について考えてみました。
 
これは、きっと答えの見えない課題何だろうな。と
たくさんの視点から考えて思いました。
 
ですが、
人生を自己や他人におけるストーリーの評価という
枠組みで考えるのも面白いなって純粋に新しい発見をしました。
 
仮説として立てた
 
私たちは人生という名の物語を
作品として毎日地道に作り上げている。
 
そして、最終的な評価を他人や自身の感情で判断をしているのではないか?
 
も少なからず間違ってはいなさそうですが
証明するにはまだまだデータも足りないので
色々な角度からまだまだ考えていきたいと思っています。
 
 
ところで皆さんは、
自分の人生は最高傑作にしたいと思いますか??
 
 
私は…
 
正直なところ凡作がいいです。
最高傑作になるには、
ちょっと人生への負荷が高すぎるかな…?とこわい気持ちもあるからです。
 
普通が当たり前に評価され
さりげなく人の心に
寄り添える人生でありたいな。
 
といつも思いながら生活しています。
 
 
人生の最後の瞬間に
幸せだったなと思えたら
それがいちばん幸せだな。
 
 
ということで今回のお話は以上です。
 
最後まで読んでくださりありがとうございました!
 
 
↓感想もありがとうございます♪↓

起業家Bさんより
20代女性

運命は素直で
考えすらも放棄した人に、
新しい瞬間はやって来ることさえないのです。

という部分が超好きです!

行動しない人には何も起らないとか
チャレンジしない人に奇跡はこないとかいうけど、それをもっと具体的に表現した言い方だと思います!

自分の人生の評価を、他人に任せているのか、自分できめているのか、考えながら読むのがめっちゃ面白かったです。

 

OLブロガーAさんより
30代女性

最後まで一気に読み終えました!

最後に書かれた、
普通が当たり前に評価され
さりげなく人の心に
寄り添える人生でありたい

という言葉がえのきさんらしいと思いました♪
自分次第で人生はよくなる!
そんなことを感じることができる記事でした^^